Category Archives: 理事長ブログ

今年の災害について

2018年、平成30年の自然を考えた時、豪雪、猛暑、豪雨、暴風があり、台風や気候の大きな変動が感じられました。さらに地震は島根、大阪、北海道と立て続けという感じでした。草津白根山噴火もあり、日本はまさしく災害にまみれたと言っていいのではないでしょうか。

災害に遭われ、亡くなられた方々には心からお悔やみを申し上げ、被災された方々には心からお見舞い申し上げます。

かつても大型台風や地震が訪れ、多くの災害となりました。しかしその後、各地のインフラがすすみ、少しばかりの自然の脅威は去ったかのように見えました。そのような中、2011年平成23年東日本大震災が起き、人間のインフラの貧しさ、自然の脅威のすごさとともに、人間の作ったものによっての災害までを見せつけられました。私はこれまで秋田という地域にいたためかもしれませんが、気候、気温等々余りに人間に都合良く出来すぎているのではないかと考えてきました。人間が気候、気温等々に合わせて家屋やインフラを作ってきたせいかもしれません。しかし、吹き飛ばされるような風が吹いても、やけどをするような気温になっても、地上が海に沈むような地形変動がきても、本当はおかしくないのではと、いつからか思うようになりました。それが、私の妄想であることを願うのですが、この間の自然を見ると妄想とばかりいえないような気持になっています。

私たちはどのように対応したらいいのでしょうか。地震は地球の吐息やあくびのようなもので、しかたないかもしれず、その生きている地球を認識することが大切のように思います。また気候等の原因が、長い時間をかけた人間による地球の破壊も一因だとすれば、取り返しのつかない地点はどこなのでしょうか。もうそこまで来ているのでしょうか。取り返しが出来るとしたら何をすればいいのでしょうか。重い課題が科せられているとしか言えないように思います。人間はこの課題を解決できるのでしょうか。

私たちが生きている限り、こうした災害や気候の変動に弱いながらも対応し、原因となることに関わっているとすれば、それを速やかに取り除く努力はしていかなければいけないと考えています。大きな課題を残していかざるを得ないことは、私たち人間の無知に由来するのではと考えさせられてしまいます。

母親のこと

私の母親は51才で肺化膿症という病気で亡くなりました。昭和46年(1971年)のことです。母親は小さい時に実の母親の妹(それも腹違いの妹)のところにもらわれて育てられました。秋田県の県南の小さな山村でした。母は小さい時から医学を学びたいと思っていたようですが、かわいがってくれた養父に「女が医者になるものではない」と叱られ、やむなく看護婦(看護師)、産婆(助産師)、保健師の資格を東京で学んでとりました。こうした養父の考えは当時の社会の通念(差別)を、それも東北の奥深い山村の通念を言ったに過ぎなかったのでしょう。しかし、母はその後、その山村に帰り、小さな診療所が一つしかない村で、おおよそ医療の仕事をし続けました。産婆として保健師として、赤ちゃんが生まれそうだと使いがくると、歩いてかなり遠くまで出かけ、もう3日は家をあけるのが常でした。40才を越えてから自転車乗りに挑戦し、それで産婆の仕事をこなしていたのを覚えています。亡くなった時、450人の赤ちゃんを取り上げたカルテが残されておりました。医学に対する尊敬と医師に対する尊敬の思いは、亡くなるまで持っていたと思います。小さい時から書物が好きで、中原中也や石川啄木など、小説もまた読んでいたようです。中原中也の詩を読んでくれたこともありました。石川啄木の「函館の青柳町こそかなしけれ友の恋歌矢車の花」は母の一番の好きな歌だとも聞いたことがあります。私たち自分の子どもに対する思い(何かになってもらいたい)についてはついぞ聞いた事がありません。母は私がまだ若く26才の時に逝きましたので、いろいろな話(医学や文学などの)をした記憶があまりありません。しかし、いつだったか遠藤周作の「沈黙」を母に読ませたとき、母は十文字というバス停を乗り越し湯沢まで行ってしまったことがありました。読みから離れられなかったと聞きました。時々、母が、今生きていたらどんな話をするだろうと、考えることがあります。母の思いからずれていない人生であることを願うばかりです。20180501

村上昭夫 動物哀歌

村上昭夫を知ったのは若い頃でした。「動物哀歌」という詩集です。岩手の詩人でH氏賞を受けました。1968年に41才で亡くなったのですが、1968年といえば私自身は大学で、様々想いを胸に生きていた時でした(今も想いは持っているつもりですが)。詩集の中では、「象」が好きになりました。「象が落日のようにたおれたという その便りをくれた人もいなくなった 落日とありふれた陽が沈むことの天と地ほどのへだたりのような 深い思いを残して  それから私は何処でもひとり ひとりのうすれ日の森林をのぼり ひとりのひもじい荒野をさまよい ひとりの夕闇の砂浜を歩き ひとりの血の汗の夜をねむり ひとりで恐ろしい死の世界へ入ってゆくよりほかはない  前足から永遠に向かうようにたおれたという 巨大な落日の象をもとめて」若い時は、「永遠」ということばが観念のように遠く感じたことを覚えています。しかし、今老いながら「永遠」が本当に身近になっていると感じています。村上昭夫は若くして病いをもち、若い心で、「永遠」を身近に感じたのではないでしょうか。そのことがほとばしり出ているように思われます。最近、長く書棚の奥底にひっそりと埋もれていた「動物哀歌」のことばになぜか会いたくなったのです。身近な犬が亡くなったことなどが考えられますが、新しい犬がやってきたこともその理由の一つと思います。犬たちの「むぞちらしさ(けなげさ・哀しさなど 秋田県南方言)」に身につまされることが多々あるからだと思っています。「僕のワンダフルライフ」という映画を見てぽろぽろ泣きました。皆さんも見て下さい。2018/04/25

卒園・就学

平成30年3月24日オリブ園・「ことば」の教室の卒園式が行われました。35名の卒園児が元気に卒園していきました。卒園式は卒園児13名と参加者が少なかったのですが、ひとりひとりの元気な姿が印象に残りました。グリーンローズの創設者である片桐格先生が、卒園児の似顔絵を長く描いてこられました。格先生が亡くなられた後、私が下手ですが似顔絵を引き継ぎました。個別支援の対応がほとんどのため、なかなか子どもたちと直に会えないのですが、この似顔絵描きで子どもたちと出会っています。写真を撮りに個別の部屋で出会い、その写真を見ながら描きます。そうすると子どもたちの顔と出会い、様々な想いが浮かびます。絵が下手なため、なんとかその子どもの名前に因んだ文言も入れるようにしてきました。この文言探しがけっこう時間がかかります。文言であれば何でもいいという訳ではなく、やはり希望や前向きの姿勢などが盛り込まれた文言ということになります。短歌、俳句、その他歴史上有名な人の文言など探して、似顔絵の側に書いてきました。それにしても文言の文字の下手さにも自分で嫌になったりしますが、文言の仲身でなんとかお許し願いたいと思っています。

今年の文言を少しだけ紹介します。「和」という文字のある子どもへの「There is no path to peace. Peace is the path. 平和への道はない。平和こそが道なのだ。ガンジー」は、私自身が深くうなづかされました。また、「秋空を二つに断てり椎大樹 高浜虚子」などすごい俳句だと思いました。このような文言のむこうに子どもたちの顔が浮かびます。そして新しい時代をしっかり生きていってほしいと強く願っています。2018/04/04

秋吉敏子

朝日新聞20180303にジャズピアニストである秋吉敏子の記事が載っていました。その中に「今まで収録でもライブでも一度もこれでよかったと思ったことはない」というような文章がありました。88才という高齢になりながらなお高みを目指していることはすごいことだと思いました。さらに世界、ヒロシマや水俣を見つめ続ける政治性もすばらしいと思わされました。こうした世代を超え、さらにやがての世界までメッセージをジャズに乗せて伝えようとする意志こそ学ばなければならないと思いました。(余りに有名なため敬称略)

野澤和弘さんの講演が12月17日に秋田市であり、聞きに行きました。障害者虐待等のお話でしたが、自閉症である自分の子どもさんについてたくさんの心引かれるお話を聞くことが出来ました。その時購入した野澤さんの著書である「障害者のリアル 東大生のリアル」の中に、「自分のいない未来に小石を投げる」ということばがあり、心打たれました。自分も野澤さん以上に年齢を経て、よく自分のいない未来を想像したりします。そして、これまで自分のいない未来に小石など投げることが出来ただろうかと、振り返ったりしました。20180303