Category Archives: 理事長ブログ

ごぶさたしております。

気がつくと瞬く間に時間の経っていることに気がつきます。園長退任から、もう一年も過ぎてしまいました。この一年様々な事があり、多くのことを考えさせられました。出来事について、羅列してみます。

昨年(2016年6月)に長年の懸案だった社会福祉法人立の医療事業がにわかに現実性を帯びました。協力医師が表れたからです。この準備を進める中で、県の認可を得なければならなくなり、大きな暗礁に乗り上げました。しかし、この問題は継続中と考えております。

改築後の新しい園舎での活動が始まりました。しかし、仮園舎からの引越しや、新しい園舎での活動への慣れなど、色々な問題を引きづりながらの出発となりました。そのためか、運営の面でのぎこちなさがあり、利用率などにも影響したことがあげられます。平成29年度からは、こうした点について様々な面から反省を加え、新たな出発となっています。

ワークショップの開催(平成29年1月21日)には、オリブ園をよく知ってもらいたいと言うことで、オリブ園の紹介をオリブ園職員で行いました。また、これまでの支援の結果としてオリブ園を卒園していった子どもたちの家族の体験を、家族向けで行いました。それぞれ多くの成果を得たと考えております。

昨年の事業報告(平成27年度事業報告)の巻頭に、柴田貞雄先生(元国立身体障害者リハビリテーションセンター学院 学院長)より特別寄稿を頂きました。日本の言語聴覚士育成のために尽力された柴田先生の文章には強く心を打たれました。柴田貞雄先生には心から感謝申し上げます。

その他、様々な事が公私ともどもありました。これから少しずつ記していきたいと考えております。

オリブ園改築 園長退任

平成27年度1年間をかけてオリブ園を改築致しました。開設40年を越え、老朽化と日本海中部地震、東日本大震災と2度の大きな地震を越えてきました。さすがに老朽化と耐震のために改築を決意致しました。平成28年3月30日竣工式を行うことが出来ました。細かい所が完成致しましたら、皆様に画像をお見せすることができると思います。

平成13年度より私こと後藤進がオリブ園施設長をやってまいりました。この度、施設長の役を退任し、佐々木明美が新たにオリブ園施設長となりました。今後ともどうぞよろしくお願い致します、

谷口明広先生 追悼

谷口明弘先生2016年1月24日逝去

1956 年京都市生まれ。生後間もなく重症黄疸のため脳性マヒとなり、四肢および体幹機能障害で車いすを使用。1980年桃山学院大学社会学部社会学科卒業。 2001年同志社大学大学院文学研究科社会福祉学専攻博士後期課程満期退学。2005年社会福祉学博士(同志社大学)取得。愛知淑徳大学医療福祉学部福祉 貢献学科教授。(有)自立生活問題研究所所長(1987年~)

谷口明弘先生を私が知ったのは、平成12年度全国肢体不自由児養護学校PTA連合会の講演録を読んだ時からでした。講演録を持って来てくれたのは、当時秋田の肢体不自由養護学校で医療的ケアができず、母親が時間的に縛られる事をなんとかしなければと集まった家族から頂いた冊子でした。文章を読み、その卓抜したユーモアと現実をしっかり見すえる目の確かさに深く心を打たれました。それから、何年もそのままに過ぎたのですが、全国児童発達支援協議会に関わり、全国研修会に講演者として参加していただき、初めてお目にかかったのです。すぐ、私たちのワークショップへの参加を依頼しました。2011年秋田まで来ていただき、当事者である自分とその母のお話にきいていた多くの方が心打たれました。一昨年のCDSの全国研修でも講演して下さり、その真実をつくユーモアに大いに心打たれました。残念です。

ここに哀悼の意と感謝を述べさせていただきます。

追悼 船山忠重様

元理事の船山忠重様が平成27年8月に94歳で亡くなられました。

昭和47年に社会福祉法人グリーンローズが認可されてから平成10年に退任するまでの26年に亘る長い期間理事を引き受けてくださいました。

その間にはオリブ園が難聴幼児通園施設に認可され、ルーテル愛児幼稚園が学校法人に認可されるなど、社会的に公認されるようになりました。

船山氏は秋田市の教育委員長や第一助役をなさっておられましたので、秋田県や秋田市との交渉の助言や予算や決算時の理事会では亡き工藤市吉氏や加藤正男氏とともに私どもにとっては大変貴重な助言を賜りました。

個人的なことですが、船山氏は私の父、片桐格が秋田製鋼という会社で働いていた時の同僚でした。朝鮮動乱が始まる前に会社は倒産し、その後、秋田市役所に就職されたと聞いております。理事を退任されてからは季節の節目には幼稚園の畑でとれた野菜をご自宅に届けたりしておりました。最近は老健施設を利用なさっていたそうですが、ご子息の幸男さんのお話では自動販売機まで移動するとき、車いすを巧みに操作したり、頭脳も冴えていたと聞いておりましたので、急な訃報には大変驚きました。お線香を上げさせて頂き、奥様に、長い間お世話になったお礼を申し上げました。49日の忌明けから2週間後に後を追うように奥様のフミ子様もお亡くなりになられました。ご夫婦の絆を感ぜずにはおられません。

船山忠重様に深く感謝し、ご冥福をお祈り申し上げます。

社会福祉法人グリーンローズ 前理事長 片桐勝也

梅若梅清師匠追悼

梅若梅清師匠2015年12月1日逝去(62歳)

民 謡名人であった浅野梅若師匠の弟子として、秋田民謡を盛り上げ、全国に秋田民謡を広げた功績は大きく、その三味線と唄は多くの人を魅了しました。浅野梅若師匠が亡くなられた後、梅清会を立ち上げ、すぐれた民謡の担い手を育てるとともに、全国の民謡ファンに秋田民謡の素晴らしさを提供してくれました。

梅若梅清さんと知り合い、秋田民謡の様々な姿を見せていただきました。それだけではなく公私共々大変にお世話になりました。子どもたちに本物をきかせたいという私の願いをすぐききいれて下さり、ルーテル愛児幼稚園に秋田民謡を年1回ずつ届けてくれました。近くにある老人施設に幼稚園の子どもたちが行く慰問にも同行してい ただきました。その気さくな性格に強く引きつけられました。民謡の場での厳しい求道の姿も垣間見せていただきました。県外の秋田民謡の愛好会にも同行させ ていただき、楽しい時間を過ごした事が忘れられません。また、私たち職員の合同の研修会で民謡一筋の人生を三味線と共に披瀝して頂いたことが昨日のことのように思い出されます。私の至らなさで、最近はお会いする事が少なくなっており、その若く急な逝去に驚き、ただただ申し訳 なく思っております。取り返しのつかない時間の残酷さを感じながら、ここに哀悼の意と感謝を述べさせていただきます。

川端利彦先生追悼

昨年から今年にかけて、私にとって大切な方々が亡くなられ、大きく落ち込んでおります。その方々は、私にとって大切な方々ですが、この社会にとっても大切な方々でした。残念でなりません。この場をお借りして追悼のことばを述べさせていただきます。

川端利彦先生2015年3月24日逝去(87歳)

大阪市生まれ。1955年京都大学医学部卒業。1959年より大阪赤十字病院精神神経科勤務。20年余にわたり児童青年精神医学会理事および「子どもの人権に関する委員会」委員長を務める。

川 端利彦先生は、私たちに子どもの見方を教えて下さった方でした。その子どもへのまなざしや、子どもの立場に立つ事を徹底された方でした。「ひとりひとりの 子ども」—精神科医のみた子どもの世界—にはその心が存分に出ていると思います。大阪日赤の児童精神科に長く勤められ、多くの子どもたちを診てこられまし た。子どもの益になっているのか?その問が川端先生のことばとなって私たちの心を打ちます。そう考えると、目から鱗のような感じで子どもの世界が見えるの は私だけでしょうか?秋田にも2度程来ていただきました。そのたびに驚くべきお話をして下さり、そのお話がしだいに社会の中で現実化して行く事を目の当たりにし ました。抗けいれん剤のこと、脳波に異常があれば、発作がなくてもあたりまえに抗けいれ剤が処方された時代に疑問を呈した事。自立が他の人に迷惑をかけな いという定義が社会の通念だった当時に、どんなに手がかかったり、多くの支援の手を必要としていても、地域社会に受け入れられている事が自立だとお話しされた事です。時代はまだまだですが、その方向をめざしているのは 確かとなっています。その慧眼に深く心を打たれたものでした。ここに哀悼の意と感謝を述べさせていただきます。

新しい年がやってきました。もう2月とあっという間に1ヶ月が過ぎてしまいました。

新しいオリブ園が完成に向かっている事を皆様にお伝えしたいと思います。3月18日に引き渡しの予定となっております。オリブ園の方々、卒園された方々、また様々な方々にも、ぜひ見学にきていただけたらと願っております。

 

この1年の出来事

前の文章を書いてから1年を経過致しました。
たくさんのことがこの1年ありました。順次記します。

・前記の「山の學校」の主催者である藤原優太郎さんが2015年5月8日亡くなりました。
お元気そうでおいしいピッザを作ってくれたのに,本当に残念です。
山には詳しくまさしくその道のプロでした。聞きたいことがいっぱいあったのにもう聞くことが出来ません。2015年7月に山の学校を訪れたのですが、 閉鎖されている学校の前に華が手向けられておりました。合掌。

・オリブ園が建て直されることになりました。
震災以降耐震の問題も出て、老朽化と相まって改築を余儀なくされたのです。今、国や県や支の財政困難な 中での改築は多くの補助は求められず、自己負担の多くを借財に頼らなければなりません。
若く自己の生活等をあまり顧みず働いてくれている職員たちにこうした重さを残すのは心苦しいのですが、より未来的な仕事として前を向いていくことしかありません。

2015年7月14日(土)難聴オリブ集う会が開催され、すばらしい会となりました。
その会の終了間際、参加者当事者より、オリブ園改築のための 寄付をいただきました。何の前ぶれもなく、封筒が差し出され、強く感激いたしました。ここで感謝の意を述べさせてもらいます。
こうした想いが育ってくれた こと、何よりも素晴らしいと思いました。ありがとう。

全国児童発達支援協議会による全国職員研修会秋田大会が2015年7月2日〜3日に、秋田県社会福祉会館を会場として開催されました。
「改めて発 達支援を考える」ー「当事者」、「保護者」とともに発達支援を考えるーをテーマに全国から250名の参加で開催されました。基調講演は浜田寿美男氏、パネ ル対談は当事者・保護者から向井望氏・向井裕子氏、三戸学氏・三戸慶子氏、講演は当事者研究の最前線として熊谷晋一郎氏、分科会(発達支援・放課後等デイ サービス・保育所等訪問)、CDS報告(発達支援の指針・実態調査・虐待防止)ともりだくさんで時間が足りなかったという多くの意見がありましたが、一方 満足されたという意見が圧倒的で、うれしく思っております。
この研修会をもちかえり、より日常に活かしていってもらいたいと切に願っております。

築紫森岩崚を登る

IMG_01599月28日私の68歳の誕生日の前日、「あきた山の學校」のとなりにある築紫森岩崚の絵地図を見たら急に登りたくなり、我が家のボイジャー(セパード)と一緒に向かった。近いと思って登ったのですが、 これが意外ときつい山行となった。後半は岩崚といわれるように岩山となり、とうとうボイくんが登れなくなり、そこで待ってもらうことになり、往復30分程 待たせて頂上に至った。頂上は、小さなほこらがあり、築紫森神社ということで、眺める間もなくボイくんの元まで降りた。ボイくんは大人しく待っていたので 本当にほっとしました。もしいなくなっておれば、山中探さなければ等と思いめぐらしながら、下ったものでした。私もボイジャーも2〜3日足腰立たないくら いへばりました。

あきた山の學校

pizza

9月27日に大とら組(放課後等デイサービス・インクル中学生)と一緒に「あきた山の學校」に行ってきました。「あきた山の學校」はたくさんの山の著述さ れている藤原優太郎さんが作られたものです。遊びを、ひたすら遊びをという主旨で作られたとのことです。みんなでピッザを作り優太郎さんが作った大きな釜 で焼いて食べました。そのおいしかったこと。何と7枚も食べた子どもさんもおりました。食べ終わってから、みんなで近所の散策と栗拾いを行いました。その 途中の木には、熊の大きな爪痕が残っておりました。楽しい時間でした。

kama