恩師
私の生まれ育った村は、秋田県東成瀬村で、小学校・中学校は田子内(たごない=正式な読み方かはわかりませんがアイヌ語からきたということを聞いたことがあります。)にありました。小学校時代の自分は本当に生意気で、他の人の気持を考えることが難しい子どもでした。今から思うと、みんなに嫌われていたに違いないと思っています。同じメンバーでそのまま同一敷地内にあった中学校に進みました。その時、受け持ってくれた担任の先生が佐々木克郎先生でした。私はこの先生にどれだけ助けられたか分かりません。佐々木克郎先生は、専門が地学で、理科と数学を教えてくれました。2年間受け持ってくれましたが、2年生の時のクラスのみんなは、克郎先生が大好きになり、その信頼は大きかったと思います。私は中学1年の3学期、大きな病気をし52日間入院し、3学期は全休しました。2年生になった時、全休した3学期の勉強できなかったことを個別に教えていただきました。小学校時代のまだ人の気持ちをなかなか考えることのできなかった私を、よく我慢して教えてくれたと感謝しております。2年生の最後に先生が他の学校に赴任していくことが分かり、クラスのみんなは怒りました。見捨てていくんだな!という気分に多くの生徒たちは考えたと思うのですが、しだいに先生をしっかり送ってやろうということになり、皆で少しずつお金を持ちより、ワイシャツをプレゼントしました(もう60年近く前のことですので記憶が定かではないかもしれません。)。このように、クラスの生徒の心をしっかりつかむ(きっとつかもうと思ったのではなく)ことが出来たのは、克郎先生の人間性だったと思っております。
その後、42才・60才などの同級会に克郎先生が呼ばれたのは、克郎先生への中学時代の生徒の気持が長く継続してきた証なのではないでしょうか。こうした同級会を契機に先生が退職された後から現在まで、私は個人的におつき合いさせていただいております。もう80才を越えられたのにその旺盛な好奇心、読書力には深く感銘いたします。さらにホタルを増やす活動もされていて、「ホタルを増やすにはホタルだけではなく多くの生物が増えていくことが必要だ」という克郎先生のことばに心打たれました。
私が小学時代の自分から少しでも成長出来たとしたら、克郎先生にお会いできたこと、そして克郎先生のもとでの同級生の力が大きかったと思っています。克郎先生は、今でも畑仕事や読書、ホタルの活動と活発に取り組んでおられます。いつまでも健康でおられること強く願っています。