川端利彦先生追悼
昨年から今年にかけて、私にとって大切な方々が亡くなられ、大きく落ち込んでおります。その方々は、私にとって大切な方々ですが、この社会にとっても大切な方々でした。残念でなりません。この場をお借りして追悼のことばを述べさせていただきます。
川端利彦先生2015年3月24日逝去(87歳)
大阪市生まれ。1955年京都大学医学部卒業。1959年より大阪赤十字病院精神神経科勤務。20年余にわたり児童青年精神医学会理事および「子どもの人権に関する委員会」委員長を務める。
川 端利彦先生は、私たちに子どもの見方を教えて下さった方でした。その子どもへのまなざしや、子どもの立場に立つ事を徹底された方でした。「ひとりひとりの 子ども」—精神科医のみた子どもの世界—にはその心が存分に出ていると思います。大阪日赤の児童精神科に長く勤められ、多くの子どもたちを診てこられまし た。子どもの益になっているのか?その問が川端先生のことばとなって私たちの心を打ちます。そう考えると、目から鱗のような感じで子どもの世界が見えるの は私だけでしょうか?秋田にも2度程来ていただきました。そのたびに驚くべきお話をして下さり、そのお話がしだいに社会の中で現実化して行く事を目の当たりにし ました。抗けいれん剤のこと、脳波に異常があれば、発作がなくてもあたりまえに抗けいれ剤が処方された時代に疑問を呈した事。自立が他の人に迷惑をかけな いという定義が社会の通念だった当時に、どんなに手がかかったり、多くの支援の手を必要としていても、地域社会に受け入れられている事が自立だとお話しされた事です。時代はまだまだですが、その方向をめざしているのは 確かとなっています。その慧眼に深く心を打たれたものでした。ここに哀悼の意と感謝を述べさせていただきます。
初めまして。私は大学時代に川端先生から児童精神医学を学ばせていただきました。現在72才で
愛知県で小さな就労継続支援事業所をやっています。ご利用者は9割がメンタル疾患で、いろいろ心身のエネルギーを使って過ごしています。過労もあって、めまい病になり、結果難聴になりました。後継者探しをする中で、懐かしく川端先生で検索いたしましたところ、このページにであったのが、2年ほど前でした。先生の意としたところを、改めてこのページで教えていただきました。
それにしても、後継者探しに今でも難航中です。では。
利彦兄は、慈しみ深い兄でした。従兄弟で有る
私の主人には、父⁉️兄⁉️三年程 主人が
最後まで。暮らして、多くの 姿を看て
楽しく 毎晩酒を飲み暮らしました。
主人より私が 今は、思い出を話して 兄を
懐かしみ、兄ソックリの姿を来年の三月七年忌を
二人で。致します。東山浄えんに義父といます。
鹿児島から年二回は、京都に行き墓参りしながら
私達二人も、 いずれ一緒に過ごせると
思っています。兄の事 色々知りました。
有り難う御座いました。
私は高校時代に強迫神経症の症状に苦しみ、川端先生に助けていただきました。あのとき先生に出会っていなかったら、どうなっていたのかと今でも感謝の気持ちになります。高校卒業後も調子が悪くなると大阪の日赤に行って先生に話を聴いてもらうと心がらくになりました。とても安心するのです。それがなぜだったのか皆様の追悼の御言葉を読んでわかったような気がしています。川端先生、ありがとうございました。もし来世があるのなら、こんどは先生のお話を聴かせてくださいね。
メールありがとうございました。川端先生のことは今でも懐かしく思い出されます。川端先生の子どもに対する心は本当に心温まるものでした。川端先生と一緒に働いた看護師さんが秋田におられ、川端先生の診察の模様を教えてくれました。他のお医者さんとは診療の状況が違ってそれはそれはよくお話を聞く先生だったとのことでした。これからも川端先生の子どもに対応する心を忘れないでいきたいと思っております。ありがとうございました。