Monthly Archives: 2月 2016
谷口明広先生 追悼
谷口明弘先生2016年1月24日逝去
1956 年京都市生まれ。生後間もなく重症黄疸のため脳性マヒとなり、四肢および体幹機能障害で車いすを使用。1980年桃山学院大学社会学部社会学科卒業。 2001年同志社大学大学院文学研究科社会福祉学専攻博士後期課程満期退学。2005年社会福祉学博士(同志社大学)取得。愛知淑徳大学医療福祉学部福祉 貢献学科教授。(有)自立生活問題研究所所長(1987年~)
谷口明弘先生を私が知ったのは、平成12年度全国肢体不自由児養護学校PTA連合会の講演録を読んだ時からでした。講演録を持って来てくれたのは、当時秋田の肢体不自由養護学校で医療的ケアができず、母親が時間的に縛られる事をなんとかしなければと集まった家族から頂いた冊子でした。文章を読み、その卓抜したユーモアと現実をしっかり見すえる目の確かさに深く心を打たれました。それから、何年もそのままに過ぎたのですが、全国児童発達支援協議会に関わり、全国研修会に講演者として参加していただき、初めてお目にかかったのです。すぐ、私たちのワークショップへの参加を依頼しました。2011年秋田まで来ていただき、当事者である自分とその母のお話にきいていた多くの方が心打たれました。一昨年のCDSの全国研修でも講演して下さり、その真実をつくユーモアに大いに心打たれました。残念です。
ここに哀悼の意と感謝を述べさせていただきます。
追悼 船山忠重様
元理事の船山忠重様が平成27年8月に94歳で亡くなられました。
昭和47年に社会福祉法人グリーンローズが認可されてから平成10年に退任するまでの26年に亘る長い期間理事を引き受けてくださいました。
その間にはオリブ園が難聴幼児通園施設に認可され、ルーテル愛児幼稚園が学校法人に認可されるなど、社会的に公認されるようになりました。
船山氏は秋田市の教育委員長や第一助役をなさっておられましたので、秋田県や秋田市との交渉の助言や予算や決算時の理事会では亡き工藤市吉氏や加藤正男氏とともに私どもにとっては大変貴重な助言を賜りました。
個人的なことですが、船山氏は私の父、片桐格が秋田製鋼という会社で働いていた時の同僚でした。朝鮮動乱が始まる前に会社は倒産し、その後、秋田市役所に就職されたと聞いております。理事を退任されてからは季節の節目には幼稚園の畑でとれた野菜をご自宅に届けたりしておりました。最近は老健施設を利用なさっていたそうですが、ご子息の幸男さんのお話では自動販売機まで移動するとき、車いすを巧みに操作したり、頭脳も冴えていたと聞いておりましたので、急な訃報には大変驚きました。お線香を上げさせて頂き、奥様に、長い間お世話になったお礼を申し上げました。49日の忌明けから2週間後に後を追うように奥様のフミ子様もお亡くなりになられました。ご夫婦の絆を感ぜずにはおられません。
船山忠重様に深く感謝し、ご冥福をお祈り申し上げます。
社会福祉法人グリーンローズ 前理事長 片桐勝也
梅若梅清師匠追悼
梅若梅清師匠2015年12月1日逝去(62歳)
民 謡名人であった浅野梅若師匠の弟子として、秋田民謡を盛り上げ、全国に秋田民謡を広げた功績は大きく、その三味線と唄は多くの人を魅了しました。浅野梅若師匠が亡くなられた後、梅清会を立ち上げ、すぐれた民謡の担い手を育てるとともに、全国の民謡ファンに秋田民謡の素晴らしさを提供してくれました。
梅若梅清さんと知り合い、秋田民謡の様々な姿を見せていただきました。それだけではなく公私共々大変にお世話になりました。子どもたちに本物をきかせたいという私の願いをすぐききいれて下さり、ルーテル愛児幼稚園に秋田民謡を年1回ずつ届けてくれました。近くにある老人施設に幼稚園の子どもたちが行く慰問にも同行してい ただきました。その気さくな性格に強く引きつけられました。民謡の場での厳しい求道の姿も垣間見せていただきました。県外の秋田民謡の愛好会にも同行させ ていただき、楽しい時間を過ごした事が忘れられません。また、私たち職員の合同の研修会で民謡一筋の人生を三味線と共に披瀝して頂いたことが昨日のことのように思い出されます。私の至らなさで、最近はお会いする事が少なくなっており、その若く急な逝去に驚き、ただただ申し訳 なく思っております。取り返しのつかない時間の残酷さを感じながら、ここに哀悼の意と感謝を述べさせていただきます。
川端利彦先生追悼
昨年から今年にかけて、私にとって大切な方々が亡くなられ、大きく落ち込んでおります。その方々は、私にとって大切な方々ですが、この社会にとっても大切な方々でした。残念でなりません。この場をお借りして追悼のことばを述べさせていただきます。
川端利彦先生2015年3月24日逝去(87歳)
大阪市生まれ。1955年京都大学医学部卒業。1959年より大阪赤十字病院精神神経科勤務。20年余にわたり児童青年精神医学会理事および「子どもの人権に関する委員会」委員長を務める。
川 端利彦先生は、私たちに子どもの見方を教えて下さった方でした。その子どもへのまなざしや、子どもの立場に立つ事を徹底された方でした。「ひとりひとりの 子ども」—精神科医のみた子どもの世界—にはその心が存分に出ていると思います。大阪日赤の児童精神科に長く勤められ、多くの子どもたちを診てこられまし た。子どもの益になっているのか?その問が川端先生のことばとなって私たちの心を打ちます。そう考えると、目から鱗のような感じで子どもの世界が見えるの は私だけでしょうか?秋田にも2度程来ていただきました。そのたびに驚くべきお話をして下さり、そのお話がしだいに社会の中で現実化して行く事を目の当たりにし ました。抗けいれん剤のこと、脳波に異常があれば、発作がなくてもあたりまえに抗けいれ剤が処方された時代に疑問を呈した事。自立が他の人に迷惑をかけな いという定義が社会の通念だった当時に、どんなに手がかかったり、多くの支援の手を必要としていても、地域社会に受け入れられている事が自立だとお話しされた事です。時代はまだまだですが、その方向をめざしているのは 確かとなっています。その慧眼に深く心を打たれたものでした。ここに哀悼の意と感謝を述べさせていただきます。









